亘理町内の文化財をめぐってみませんか。

今回は、亘理編をご紹介します。

詳しいマップはこちらから   

1. スタートは亘理地区交流センター(中央公民館)から 

亘理地区交流センター(中央公民館)に車を停めて、さあ出発です。みなさんの体力や時間に合わせて、調整しながらめぐりましょう。

また、交通事故には十分注意しましょう!特に国道を横断する際は、危険ですので必ず横断歩道を渡りましょう。

2. 亘理神社 (亘理町字旧舘32)

現在の亘理神社周辺は、かつて亘理伊達家の館(亘理要害)が置かれ御館として親しまれています。御館の築城時期は不明ですが、亘理氏が支配していた頃に築かれ、片倉小十郎と伊達成実が整備し、現在の亘理の礎を築きました。

また、戊辰戦争の降服式がこの地で行われ、亘理伊達家の北海道移住により要害としての役目を終え、その後、明治12年(1879)に成実を神として祭る神社になりました。

3. 称名寺のシイノキ しょうみょうじ (亘理町字旭山1)

シイノキは南方性温暖の常緑広葉樹で北方には、稀な巨木です。鎌倉時代に武石氏(後の亘理氏)が光明院(後の称名寺)を開山し、そのときに鎌倉から移植されたと伝えられています。

この称名寺にあるシイノキは、昭和18年(1943)に国の天然記念物に指定され、推定樹齢700年を超えています。境内にはもう1本シイノキがあり、こちらは推定樹齢400年と言われ県の天然記念物に指定されています。

4. 尊久老稲荷神社 そんくろういなりじんじゃ (亘理町長瀞字坂下165)

承和9年(842)陸奥の太守小野篁(おののたかむら)がこの地を訪れた際、一人の童子が道案内をしました。稲荷山付近に来ると童子は「予の住まいはこの深山なり」と黒狐に身を変えて姿を消しました。そこで小祠を建て「総黒稲荷」として信仰されたと伝えられています。いつしか総黒から「尊久老」と呼び名をかえ現在まで信仰されています。

5. 大雄寺 だいおうじ (亘理町字泉ヶ入88)

亘理伊達家の菩提寺、雄山寺として伊達成実が創建し、その後名を大雄寺と改めました。創建時の建物は元文元年(1736)に全焼し、再建しようとしましたが財政難のため仮建築となりました。その後文政2年(1818)に本殿、庫裡(くり)、山門が再建され、現存する山門はこの時のものです。

また、初代領主成実が南の小高い一画を亘理伊達家の御廟所と定め、14代領主邦成が北海道へ移住するまでの13代の領主と夫人の御霊がここに眠っています。成実霊屋は1月16日と8月16日の年2回御開帳されています。

6.鹿島天足和気神社 かしまあまたらしわけじんじゃ (亘理町逢隈鹿島字宮前97)

今からおよそ1900年前の景行41年(111)に日本武尊が、武神の武甕槌神(たけみかつちのかみ)を祭ったのがはじまりといわれる由緒ある神社です。平安時代の記録『延喜式』に記載された神社で、このほか町内には鹿島伊都乃比気神社(かしまいつのひけじんじゃ:不明)、鹿島緒名太神社(かしまおなたじんじゃ:逢隈小山)、安福河伯神社(あふくかはくじんじゃ:逢隈田沢)が記載されています。

7.郷土資料館 (亘理町字西郷140)

亘理の文化歴史を知ってもらうため多くの資料などをわかりやすく展示しています。

今日めぐったときの疑問を学芸員に聞いてみてください。また5階展望室からは亘理町が一望できますので、今日の足跡をたどってみてください。何か新しい発見があるかもしれません。